Twitterでの第一報からご報告が大変遅くなりましたが、この度転職しました。
転職を決意したきっかけはニューヨーク赴任直後にさかのぼります。
日系の銀行系証券の東京本社からの派遣として赴任したのですが、
当初やるはずだったプロジェクトが開始3ヶ月にしてご破産になり、いきなりやることがなくなってしまったのです。
代わりのプロジェクトを東京から言いつけられることもなく、現地での上司やその上司からも冷遇され、
なんとか別の仕事を見つけようとするもことごとく潰され、とかなり辛い毎日を送っていました。
駐在の方はわかると思いますが、今までの駐在のビジネスモデルって「日本からお客さんを連れてくること」だったんです。
日本がまだ豊かだった頃は日本のお客さんがどんどん商品を買いに来て法外なフィーもたくさん払ってくれるので、
現地も日本もハッピーということでそのコネクションを司る駐在の存在価値がありました。
しかし、長らく続く日本経済の低迷により日本のお客さんはどんどん減ってしまい、
このビジネスモデルが成り立たなくなってしまいました。
日本の本社も赤字続きの海外拠点にいつまでもミルク補給する余裕がなくなってきており、
「拠点は本社に頼らず、独自でちゃんと収益を上げよ」という号令をだしたこともその勢いに拍車をかけました。
今までのローカル社員は時々交代でやってくる、お世辞にも英語がうまいとはいえない駐在員たちの英語を一生懸命聞いてあげて「グローバル・トモダチ」になってやり、「俺は世界中に知り合いがいる国際派エリートだ!」と自信をつけてもらい、気持ちよくなって帰ってもらうというのが裏のメイン業務でした。
その代わり、ローカル社員には成績のプレッシャーもほとんどなく、9:00−5:00どころか10:00−4:00で帰れて
有給も病休もたっぷり取れてクビになる心配もほとんどない「ゆるふわ生活」の上、
現地の銀行業界ベースの(日本から見ると)かなり良い給料をもらえるという夢のような生活が保証されました。
しかし、時代は変わり、トップマネジメントも現地のビジネスが何もわかっていない上3年程度で交代する「腰掛け」駐在でなく、現地の投資銀行でゴリゴリやってきた豪腕マネージャーになりました。
ローカルへのプレッシャーは見る見る大きくなり、「ゆるふわ生活」に慣れてしまった古くからのローカル社員は次々とクビになっていきました。
代わりに豪腕マネージャーの古巣から投資銀行出身の優秀な社員がどんどん入ってきました。
そうなると駐在へのあたりは強くなってきます。
「あいつらは、日本から大したお客さんも連れてこれてなくて稼げていない上、
英語もあまりうまくないので現地での稼ぎは期待できそうにない。
なのになんでうちのチームのヘッドカウントを食っているんだ?
あいつらをクビにすればその空きに俺の知り合いの優秀な元部下を連れてきてガンガン業績を上げられるじゃないか?
しかも聞くところによると、都心のいい家の家賃やクソ高い保険費用を会社から支給されているそうじゃないか。
それも含めると俺たちと給料はそう変わらないんじゃないか?・・・フザケルナ!」
というわけです。
結果は火を見るよりも明らかで、英語ができないからとか適切なキャリアを積んでないからとか、
なんやかんや難癖をつけて駐在の枠をどんどん減らしてローカルの人間にすげ替えていくことになりました。
東京本社の人間も「拠点独自で業績を上げろ!」と号令をかけた手前あまり強くはいえませんでした。
実際、駐在をいくら派遣しても赤字続きだったのが、
現地化を進めた結果自分の食い扶持くらいは稼げるようになったのは紛れもない事実でした。
(それでも現地での看板パワーが弱い分かなり厳しい状況ではありましたが。)
そんな状況だったので、駐在を増やすようなプロジェクトはローカルの上司にとって基本的に面白くないわけです。
駐在が増えるとそこにヘッドカウントを食うので、その分自分のかわいい子分を連れてこれなくなるわけですから。
駐在に対してローカル側に人事権がないのもローカルにとって不満でした。
どんなにいい駐在が来ても、東京本社の命令により否応なく交代させられてしまうのですから。
そんな厳しい環境もあり、私が提案する日本との共同プロジェクトはことごとく潰され、
ニューヨーク赴任という華やかな名前とは裏腹にフラストレーションが溜まる一方の辛い日々を送っていました。
そんなとき、ふと見た日本人向けフリーペーパーにとある求人記事が掲載されているのが目に入りました。
それがまさか人生の転機になるとは、当時の私は想像だにしませんでした。。。(次回につづく)
To be continued…
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